お世辞・社交辞令が言えない人の特徴「自意識過剰」「プライドが高い」

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お世辞や社交辞令が言えない人の心理とは

お世辞・社交辞令が言えない人
出典:OpenClipart-Vectors(pixabay)

社会生活をしていく上で、人と人とのコミュニケーションは必須です。そして、そのコミュニケーションの取っ掛かりや物事を円滑に進めていくために

「お世辞」「社交辞令」というものがあります。

言葉の意味合い的には、少しネガティブな印象がありますよね。「お世辞が上手ですね」とか「社交辞令は必要ありません」とか。

そして女性のほうがこういった、いわゆるコミュニケーション能力は高いのではないでしょうか。

男の場合は「自分、不器用ですから…」で済ますこともあります。

しかし、それではダメなのです。「お世辞や社交辞令を言わなくてもいい立場」の人はほんの一握りです。実家がお金持ちで、株の配当や不動産から「寝ててもお金が入ってくる人」だけでしょう。さらに、「人間関係なんてどうでもいい」と思っている人だけです。

つまり、本音だけでは現実世界で生活できないとも言えます。その人の本音が「宗教・文化・環境」などあらゆる面で他人と摩擦を起こさないような考えを持っているなら、本音でイケると思います。しかし、それは難しいです。誰しも「自分の考え」を持っています。ただ、その考えは他人にとっては「非常識」の可能性もあります。

「一般的に正しいと思われること」を伝える能力は大切です。それは同時に「他人が喜びそうなことを言う」ということにもつながります。

お世辞が嫌いな人はいない

たまに「私はお世辞が嫌いなんだ。何でも率直な意見を言ってほしい」という人がいますが、それは「トラップ」です。確実に。この言葉を鵜呑みにして、本当に「あの~、さっきから口臭がキツいんで、話の内容が入ってきません。取りあえず歯を磨いてきてもらってもいいですか?」とは言えないのです。

これも「本当は口臭がキツいのに、黙っていてあげている」いわば、「無言のお世辞」に他なりません。そして、お世辞と悪口というのは「本当に紙一重」です。いや、むしろ大人のお世辞や社交辞令というのは「かなり皮肉が入っている」場合もあります。

お世辞が嫌いと言っているオジサンでも、若い後輩のOLから「○○さんと結婚してる奥さんがうらやましいなぁ」とお世辞で言われたらどうでしょう。

○○くん、きょうちょっと一杯どうだ?」とお世辞を言われたほうは鼻の下を大きく伸ばして言うのではないでしょうか。そして、その後輩OLから「いや、今日は無理です、ついでに言うならこれからもずっと無理です」とピシャリと断られるのです。そういうことじゃないですよね。

それに第一、「お世辞か本当に褒めているか」の区別なんて誰にも分かりません。相手の気持ちなんて誰にも分からないです。「お世辞は嫌い」と言っている人は、かなりワガママではないでしょうか。

それに、そんなことを公言している人のほうが「お世辞が大好き」であることも多いです。その人にすれば「お世辞を言うな!と常に周りに言っているので、自分に対しては本音で接してくれている!」というお花畑の世界で住んでいる設定になっています。これはこれで幸せな世界です。

お世辞を言うなと言っている人にこそ、がんがんお世辞を使っていきましょう。スポンジのようにお世辞を吸い取ってくれるので非常に効果的です。

お世辞が言えない理由「自意識過剰」「プライドが高い」

まず、お世辞が言えない理由の一番大きなものが「自意識過剰」です。「周りから媚売ってると思われないかな…」とか、「相手にお世辞とバレてないかな…」などという、自分の中で勝手に疑問を作ってそれに悩んでいるだけなのです。もしかすると「高等貴族であるワタクシがなぜ庶民にお世辞なんか…」というよく分からない自意識に邪魔されているのかもしれません。

お世辞を言ったところで、言われたほうも、それを聞いている周りも「全然気にしていない」のが実情です。気にしているのは、何と「自分だけ」というまさにコントのような状態になっています。

もしくは、「自分のキャラクターは周りからこう見られているから、お世辞を言う必要なし」という謎のマイルールを設定している可能性もあります。

こういった「相手を立てる」のが出来ないのは、「プライドが高い」のが原因です。

自分が相手よりも下に行くことが出来ないのです。相手からバカにされたりするんじゃないか?と周りからの目を気にして。

大企業の社長から日本の首相まで、相手にお世辞を言ったり社交辞令を頻繁に使っているのに対して、そこまで地位も高くない人が自分の小さなきのこの山ぐらいのプライドを守ろうと必死なわけです。

お世辞を言ったところで何も減るわけでもないのに、何故か「私は誰と接しても私だから」という感覚で、正面突破をして人間関係をギクシャクさせてしまうのです。まるで3歳児のような振る舞いをします。

ナチュラルボーンな感覚で人間関係が上手くいくなら、それに越したことはないですが、人間、そこまで出来ている人っていますかね。こういう「私は私」という人がいるせいで、会社や学校での人間関係が悪くなったりすることのほうが多いです。

そして勝手に「日本の社会はおかしい」と拡大解釈するわけです。

お世辞を言うことは、立場が上になるにつれてあまり抵抗がなくなってきます。会社などでも「かなり上」の役職の人などが、20代の人に対して「後学のために教えて貰ってもいいですか?」と言っているのを実際に何度か見たことがあります。これはもう完全に社交辞令ですよね。

「おい、これどういうことだ?」と聞くよりかは、下から丁寧に聞いたほうが本音というか良い意見が聞けることが多いためです。スムーズに話が進むほうを合理的に選択しています。それに、60代の人が20代にお世辞や社交辞令を言ったところで、60代の人は何とも思っていません。円滑なコミュニケーションには社交辞令は必要だと感じているのだと思います。

これが中途半端に立場が低い人だと、「何で俺がお前なんかに!」とプロレスが出来なくなってしまいます。つまり立場が低い人の場合、自分の立ち位置を下げると「本当に立場が下がってしまう」という錯覚に陥りやすくなるわけです。

おわりに

学生のころは、周りは同年代ばかりでお世辞・社交辞令を使う機会がなかったと思いますが、社会人になるとそういうわけにはいきません。「全く尊敬できない上司」などに対しても「時にはお世辞」を言う必要があります。特に、飲み会などで使うと効果的です。

仕事中というのは、ほとんどお世辞や社交辞令の応酬だと思ってもいいので、この部分をあまり真剣に考えすぎると

「あの人は八方美人で誰にでも良い顔をする!」と周りで上手くコミュニケーションを取っている人に対して「ねたんで」しまいます。

八方美人の特徴【改善策】職場ではデメリットが大きい?
八方美人とは「悪い意味」で使われます。八方美人な人は「誰とでも上手くやりたい」と優しい人が多いです。ただ「いい顔をするのはやめたい、直したい」という人もいるのが現状です。特に職場での八方美人はデメリットも大きいです。

自分がしないだけならまだいいですが、他人がお世辞や社交辞令を上手に使っているのも許せないという「マイルールのクセが凄い」人に進化してしまうと、さらに人間関係は上手くいかなくなります。

車のハンドルと同じように、マイルール以外の人も認めるという、ある程度の「遊び」の部分は持っておいたほうがいいのかもしれません。

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