結果論がうざいと感じる時ってありますよね。
「うーん、いろいろ言ってるけど『結果出てるじゃん』」(ニヤニヤしながら)
このように、頭ごなしに、過程を一切考えることなく「結果至上主義」的な考え方をニヤニヤされながら押し付けられると、「過程にも意味があるんだ!」と言い返したくなりますよね。
ただ「結果が出ているのは事実」なので、妙な説得力があるのも事実。
こんな時に、「グヌヌ・・・」と半泣きにならないようにうざい結果論への反論を考察します。
結果論がうざいと感じるのは「反論できないように思えるから」
結果論がうざいと感じるのは、「すでに結果が出ていて、反論できないように感じるから」ですよね。
ただ、この考えは間違っています。
例えば、高校受験のときに全く勉強せず「テスト本番でカンニングして合格」した人と、一生懸命勉強したのに、同じ高校に合格できなかった人がいた場合。
こういうとき、カンニングをして受験に合格した人が、「うーん、勉強?意味あるそれ?コスパ悪くね?結果が全てだから。現に俺、合格してるし」と結果論を振りかざしてきたとします。すると、「確かに合格してるしなぁ」と結果論が有利になっていると錯覚してしまいます。
しかし、これはいわば「短期的な結果」です。
カンニングをして自分の実力以上の学校に入ったとしても、授業についていけず、学校を卒業できなくなる可能性もあります。
それに「ズルをして成功した」ので今後の人生で、何をするときも「努力ができない体質」になるかもしれません。さらに、結果論を振りかざして、自分の友人に対して意味なく気持ち悪い感じで論破しているので、「人生で唯一の友人を失った」可能性もあります。
一方、勉強は一所懸命したけど高校受験で志望校に入れなかった人の場合、その後も勉強を続けていて「大学では自分の希望していた学校に入学」できる可能性もあります。
これは何も受験勉強だけでなく、仕事や恋愛などでも同じことが言えます。
「マジで死ぬまで結果は分からない」です。
仕事で成功していても、周りには信頼できる人がおらず、家族とも上手くいかず、結局最後は独りぼっちになることもあります。
「結果こそすべてやで!」という人は、「いまのこの時点での結果」して見ていません。それも、目に見える分かりやすい結果に飛びつくので、「目に見えない過程」を軽視します。
結果論を言われた時の反論方法
結果論を言われた時に、「直ぐに過程の話をすると」過程派が不利になります。
なぜなら、その話し合いをしている時は、結果が出ているためです。そのため、重要なのは「あなたが言っている結果も、長い目で見たら過程の一部だよね?」と結果の期間を変えます。
少しややこしいですが、先ほど例に出したように、私は現在30代後半ですが、「高校受験の結果なんて人生の一つの過程」に過ぎないです。
そのため今「高校受験の結果がすべてでしょ?」と言われても、「いやいや、その後の人生のほうが重要だよ」と言えます。
「この結果について、いま直ぐに結論を出すのは早いよ。まぁそんなカリカリせずに落ち着いてください。みっともないですよ、皆言ってます。そうですね、3年後にもう一度会って答え合わせをしましょう。グッドラックb」でも良いです。
時間を空けると、「過程派が有利」になります。それは、「その時点では結果だったものが、時の流れにより過程に変わるから」です。
また「何に対する結果」なのかをハッキリさせたほうが良いです。
結果論を言う人の場合は、「範囲が非常に限定された結果」を話していて、過程を大事にする人は「もっと長い人生という範囲」で話しています。
最初から「結果という意味の前提条件」が違っているので、勝ち負けがどうこうという話でもありません。「前提条件のすり合わせ」が大事とも言えます。
第一、結果がすべてだとしたら、何かの結果について真剣に考えだすと「かなり暗い気持ち」になります。
自分よりもお金を稼いでいる人はたくさんいます。そんな人を見て、「あぁ、私はあの人よりも無能なんだ。なぜなら、今までの人生の結果としてあの人のほうがお金を持ってるから。はぁ宝くじでも買うか」と落ち込んでしまいます。
または恋愛面でも同じことが言えますよね。「はぁ、世の中にはガッキーと結婚できる人もいるのに、なんで私には恋人もいないのだろう。はぁ、きょうも恋愛シミュレーションゲームでもするか」と落ち込んでしまいます。
ただもっと長いスパンで考えると、どんな人にでも悩みはあります。お金を持っている人は、周りにお金目当ての人ばかりが集まってきて誰も信用できなくなることもありますし、ガッキーと結婚してもガッキーは常にモテモテなので、ずっと気が休まらないこともあります。
おわりに
結果論をニヤニヤしながら言われると、「ウザイ」と思うのは当然です。それはあまりにも短絡的だからです。確かに結果は出ています。しかし、その結果は「長いスパン」で考えると、一つの過程にしか過ぎません。
中学生の受験の結果や新卒で就職した会社の結果など、そこから10年や20年経つと「ただの過程」です。10年も経つと、コーラ片手に「ふっそういや、俺にもそんな時期があったな」と思うものです。
結果がすべてでしょ!という人は、人生で最期の瞬間、周りに誰もおらず体の痛みに耐えている状況で、「今の状況があなたの人生の結果で、過程は意味がないと言えますか?」ということです。「今までの人生の過程に意味があった」と答えるに違いありません。
そうじゃないと、あまりにも寂しすぎますよね。
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