自己評価が低いと人生を損するかもしれない「自分ファースト」の考え方

自己評価とは

自己評価が高い人

自分自身を評価するときというのは、社会に出るといたるところで「実際にある」。まず面接。これは自己評価を出すというところでは、高校生ぐらいから経験することができる。

「自分の長所と短所について教えて下さい」

こんな言葉を面接官から言われたことのある人も多いだろう。こういう時の回答フレーズというのは、ネットを調べればいくらでも出てくる。表面的なことを言えばいい。長所と短所というのは表裏一体の部分が大きいので、長所を「協調性が取れる」と言ったとすると、短所は「わたくしの短所は、先ほどの長所でもある協調性を意識しすぎてしまうところがあります」と社畜宣言をするのが定例となっている。協調性というのは会社にとっては重要なことだ。

さらに、会社に入ると「自己評価シート」というものを書く機会もあるかもしれない。会社での自己評価など「よく分からない」というのが実感だと思うが、それでもなんとか白紙を埋める作業をする。

今回はそのような、表面的な自己評価ではなくて、もっと深い部分の自己評価について考えていきたい。

自己評価が低いと周りの視線が気になり過ぎる

たまに、「自分なんか大したことない人間だよ」と大きな声で言っている人がいる。おそらく、本当に自分のことに対する自己評価は低いのだろう。しかし、それは他人への評価も同様に、いや自己評価よりも低いように思える。

「自分も大したことないが、他人のほうがもっと大したことない

というような考えだからこそ、「自分なんか大したことない」と大きな声で言えるのだろう。ただ、このような考え方のほうが、実際に生活をしていく上では、都合が良い。

これはよく言われている話だが、例えば、教室に入ると、自分の友達同士がおしゃべりをしていた。しかし、自分が近づくとピタッと会話が止まった。このようなとき、「あれ?自分の悪口を言っていたんじゃ・・・」と思うか「なんとも思わない」とでは、実生活を送る上で、相当大きな差が出ると思う。

こういった時は、生活を送るうえでいくらでも遭遇するからだ。そのたびに「あれ?」とコナン君並みのネガティブ推理力を発揮していては身体がもたない。なぜそのような考え方になるかというと、たぶん自己評価が低いからだろう。

自己評価が高いと「自分は悪いところはほとんどない。オール5」と考えているので、「悪口を言われている」なんてことは思い浮かばないし、「会話が止まったこと」も全く気にならない。

周りからの評価、言い換えれば他人の視線によって、自分の評価が変わる。いわゆる、思春期と言われる時期に多い考え方だと思うが、これは仕方がないことだろう。学校では毎日、常に他人によって評価をされているので、「評価とは他人がするもの」と感じるのも仕方がない。

これが、中年のおじさん・おばさんになると「周りなんか知ったこっちゃない」という風に変わってくる。電車でも礼儀正しいのは、若者である場合が多い。居酒屋につくと、おしぼりで顔をごしごし吹いて、しまいには首元から脇まで拭き「ふぃーーー!」と言うおじさんもいるが、これは「他人の視線を気にしていない」ということにほかならない。

他人の視線を気にしても、意味がない

年齢を重ねていくと、「他人からどんな風に見られようと実際に害はない」というのが経験的にわかってくる。他人から嫌われようと、病気になるわけでもないし、何か身体の胸の真ん中に釘が刺されたような痛みを伴うこともない。そして、お金も減らない。

それなら、なぜ他人の目を気にしないといけないだ、と感じるのが中年のおじさん・おばさんで、ずうずうしくなる。

現在、アメリカではトランプが「アメリカファースト」と言っているが、それは国レベルのことだけではなく、自分自身についても同じことが言えるかもしれない。

「自分ファースト」という気持ちで

自己評価が低くて、周りの視線や他人の言動が気になり過ぎる人は、これぐらいの心持ちでいけば、少しは楽になる可能性がある。繊細過ぎると思うので、周りの人間関係や環境を考えるのではなく、まずは自分自身について考えてみて、「そういえば昔は他人の目が気になってたな」と感じたら、周りの目を気にするぐらいでちょうど良いと思う。まずは自分から、それでいいと思う。

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