TVなどの議論の場では「そもそも論」は頻繁に使われます。しかし「そもそも論」を多用すると
「何でもアリ」の状態になります。
今、目の前に出されている条件で対応しようとしているのに、全く違う条件や理論を出すのは混乱しか生みません。
そもそも論を言う人は、急に「それって幸せですかね」などとよく分からないことを言い出します。本当にそもそも過ぎて頭がキーンとなるのです。哲学者ぶるなと。お前はソクラテスになりたいんかと。
テレビなどの議論をするだけの場面では、「何の実害もない」ので自由に話せばいいのですが、たまに実際に仕事をしている現場レベルでも「そもそも論者」はいます。
しかも「それって幸せですかね?」と言った後に「言ってやったみたいなどや顔」をするので腹が立ちます。
ここまでぶっ飛んだそもそも論者じゃなくても、実際に働いていると「そもそも論」を言う人は意外と多いです。
そもそも論とは
物事を原初に立ち返って論じること、さかのぼって必要性や存在意義などを問うこと、などを意味する表現。「どのようにするか」を議論しているときに「そもそも、どうしてそれが必要か」という問いを蒸し返すようなあり方。
引用:weblio辞書
そもそも論の言葉の意味については上記に引用した通りで、「物事の進め方を議論しているときに、最初までさかのぼって意義を問う」ことですよね。
今流行りの「エネルギー問題」で考えると分かりやすいです。
例えば、現在世界中で二酸化炭素の排出削減が言われているので、「よし、日本は再生可能エネルギーで行こう!」という決定をします。
そして、日本でできそうな再生可能エネルギーは「水力発電」に決まって、「具体的に水力発電を提供する民間会社と会議をして、予算はどのくらい必要か議論をしているとき」にある人がおもむろに
「あの~、一つ質問、いやこれは提案なのですが」と会議中にいきなり声を上げます。
「そもそも、二酸化炭素削減が本当に必要かどうかをもう一度精査する。そこから始めませんか?」と一番最初に議論をグイっと戻そうとします。
聞かされているほうは「へ?」となります。
「いやいや、あんたの言ってることは『概念』であり、私たちはすでに具体的に予算を決める段階の『戦術』レベルの話」をしています。そもそも論者は、概念的な話でずっと「そもそも」と言い続けます。
物事が決まっていくときには順番があり、概念⇒戦略⇒戦術の流れで物事は進んでいきます。
上記の例でいえば「二酸化炭素の排出削減のための大きな方向性(概念)を決めて、次に再生可能エネルギーの水力(戦略)に決めて、最後は実際に運用する民間会社への予算を決定(戦術)」します。
概念のレベルを変えるときは「相当なパワー」が必要です。
さらに物事の決定が進むにつれて、考えないといけないことがより具体的になっていきます。そしてすでに具体的になっている段階で「そもそも論」として、最初の概念のところを議論しても
「何の意味もない」のです。
そもそも論が実際の社会では意味がない理由
そもそも論が通用するのは「何の責任もない場所」だけです。テレビやYouTubeでの議論ぐらいです。実際に社会に出て仕事をしていくと「そもそも」なんて言ってられないのです。
仕事というのは自分のところに回ってきた仕事を、次の人までスムーズに渡さなければいけません。そもそも論をしたい人は、出世して「そもそも論を議論する場」に行けるようにしましょう。
それでは、実際の現場レベルでそもそも論の意味がない理由を3つご紹介します。
- そもそも論を話したところで意味がない
- 話が進まない
- 人の気持ちが分かっていない
一つずつ具体的に見ていきましょう。
そもそも論を話したところで意味がない
会社の現場レベルで議論をするときに「そもそも論は必要ない」です。そもそも論を話したところで
「上がすでに決定している」のです。ひっくりかえせません。太陽は西からは昇らないのです。
上が決定したことに対して、その下の人が「そもそも・・・」と考えたところで何も変わらないので、
「自分たちに与えられた仕事の範囲で」議論を進めていく必要があります。
つまり「自分たちに決定権がないものについて、そもそも・・・と話し合ったところで何も解決しない」のです。
トヨタの流れ工場で働いている人が「そもそも、今後は水素自動車を作ったほうがいいんじゃないか?」とそもそも論を展開したところで、「そうですね、ただその前にちゃんと手を動かしましょう。流れが止まってますよ」となります。
話が進まない
そもそも論を実際の社会でしてくる人が嫌われる理由としては、この「話が進まない」というのが大きいです。
「完全に平行線」になります。
そもそも論を言い出すと「自分たちには決められないことを永遠に話すことになる」ので、物事が進みません。
仕事には期限が決められているので、そもそも論をする人の話は徐々に流されやすくなります。「また始まったよ、教授の話が」と相手にされなくなります。
そもそも論者が「そもそも、この商品は・・・」と言い出すと、誰かが「あぁ、そもそもさん、分かりました。その件については後ほど上に報告するので安心してください。〇〇くん、話を進めてください」と議論がセラピー状態になるのです。
そもそも論者の話に付き合っていたら「全く仕事が進まない」ので、そもそもさんには黙ってもらうしかありません。
人の気持ちが分かっていない
会社では、自分のところまで仕事が回ってくるまでには「さまざまな人の手を渡っている」ことが多いです。
AさんからBさんに、そこからCさんに仕事が渡っていくなかで
「そもそも」と言い出すと、AさんやBさんの仕事を否定することになります。誰しも「自分の仕事を否定されたくない」ですよね。
自分の仕事を否定されると、誰だって反発します。
そもそも論者は「人の感情」を察知する能力が低いので、いきなりグイっと議論を一番最初に戻そうとするのです。
いやいや、今から一番最初に戻すと、今までその仕事をしてきた人はどうなるの?ということです。
仮にそもそも論が正しいとしても、ロボットのように直ぐにリセットできるわけではありません。血が通った人間が仕事をしていることなので、一番最初から本当にやり直すとさまざまな摩擦が生まれます。
そもそも論が好きな人への対処法
職場では意外と「そもそも論」が好きな人はいますよね。そもそも論が好きな人は、揚げ足を取るのも好きなので、ネチネチと反論してきます。
そもそも論は、すでにご紹介したように「議論をしても意味がない」です。
我々の人生の時間は有限です。そもそも論が好きな人の「できもしないこと」を議論している時間はありません。
やはり「受け流す」ほかないですよね。
そもそも論をせっかくのどや顔でお話になられているので、そこは気持ち良くそもそも論を展開してもらってスルーしましょう。
「確かに『本来なら』そのほうがいいですよね」と貴方のそもそも論分かりますよ今日も暑いですね的な顔をしながら受け流すのが一番です。
そもそも論が好きな人は「考えている階層」がごちゃまぜになっていて、自分たちの手に負えないことも「できる」と考えて話しているのでやっかいです。
職場では、自分の力でできる範囲のことを一生懸命考えたほうが効率的です。
ただ強く否定するとその後はずっとそもそも言ってくる可能性もあるので、ほどほどに理解を示しつつ議論を進めていくのがスムーズな大人の対応です。