若いうちの苦労は買ってでもしろ⇒中年の戯言なので無視

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若いうちの苦労は買ってでもしろ、というのは「嘘」です。運良く、苦労を乗り越えれた中年の戯言なので、無視で構いません。必要以上の苦労は、乗り越えられない人も多く自分を苦しめるだけです。

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若いうちに苦労するのは良いことなのか


出典:stevepb(pixabay)

若い人、特に10代後半ぐらいから20代前半の人は、親や教師、または親戚のおじさんから「若い時の苦労は買ってでもしなさい」と言われたことはありませんか?

その時は「へへッ、そっすね」と中途半端な返事できないですよね。

私も、10代や20代の若いころ、この言葉を言われたことはあります。「今、頑張れば将来は明るいぜよ」と。

しかし、30代も過ぎて社会に出てみると「苦労は良いことなのか?」と思うようになりました。

学生のころ、バイトを必死でしながら学費を払い、真面目に講義も受けて大学を苦労して卒業した人は、仕事では気の抜けた感じになっていたりしています。まあ、学生時代の苦労だけが原因とは言いませんが。

しかしそれよりも、何不自由なく大学に行って友人たちとキャンパスライフを楽しんでいた人たちの方が、仕事の面でも上手くいっているのです

「お金持ちの子供は性格が良い」というのを聞いたことありませんか?私も何度かそういう人に会ってきましたが、個人的にもそれは「正しい」と思います。本当に、素直な人が多く性格がひねくれていません。

社会に出て、こういった現象を何度か経験すると、「苦労というのは少ないほうが良いかもしれない」と思うようになりました。

苦労と感じないような「苦労」は良い

例えば、サッカー好きな人がそのままサッカー推薦で高校や大学へ行き、そしてプロになるというような場合だと、日々の練習も苦労だとは言えません。恐らく、実際にサッカーをしている選手もそのように感じていると思います。

そういった「明確な目標に向かって進んでいる」のは、その行為自体が幸せなので何の問題もありません。

そうではなく、「頑張らないといけない」と思いながら行動することは、「悪い苦労」だと思います。

誰もがその苦労を乗り越えられない

これが一番大きいです。

今は、大学の奨学金制度を利用している人が半数近くいます。就職してから少しずつ返していくのだと思いますが、そういったことが「特に気にならない」という人はそのままで良いです。働いていくうちに自然と返せるようになるでしょう。

そうではなく、「あぁ、親から大学の費用を出してもらえずに自力で大学に行ったはいいけど、それを何年も返済しながら働いていかなきゃ…」と感じてしまう人もいます。そういう苦労は良くない苦労です。

会社に行くのも「借金返済のため」と考えるようになり、生活自体が「借金ありき」になってしまいます。すると生活自体に余裕がなくなり、性格もどんどんひねくれていきます。

「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」と言っている人は運よくその苦労を乗り越えることが出来て、その苦労が無駄ではなく、今の自分にとって役に立ったからそう言っています。

しかし、苦労を乗り越えられない人もいます。苦労を乗り越えてもう「上がり」になっている50代ぐらいの人が若い人にも「苦労をしなさい」と言うのはやや傲慢です。それなら、その「上がり」の状態の50代の人も100歳の人から見たら「若い」ので、今の地位やお金などを捨ててまた一から苦労をしたら良いと思いますが、絶対にしないでしょう。苦労はしたくないから。

仕事でも、恋愛でも人生でも「イージーモード」が良いに決まってます。

そして、自らが望んでいない苦労というものは「人生を豊かにしない」可能性があります。いつもその苦労に追われていると感じてしまいます。

そして、周りにいる楽しそうに生活している人たちをみて、ついつい「何て自分はツイていないんだ」と悲観してしまうのです。

苦労をなくすことは出来るのか

それでは、「苦労」というのをなくすことが出来るのでしょうか。中学生や高校生は「良い大学に入るための勉強」であったり、社会人になれば「生活や出世のために働かなければ」いけません

これらの苦労を完全に失くすことは「できません」。

今の日本で生活をしていく上では、「ある程度」の苦労は仕方がありません。ただ、必要以上の苦労も必要ないです。中学生や高校生が必要以上に受験に対して「人生懸ける」と感じる必要もありません。

それでも勉強といいますか、自分の知識を増やしていくことは大切です。

周りが知らないことを自分が知っていて、それを喋ると「すげーなお前」と言われたことありませんか?そういう知的好奇心と承認欲求というのは誰もが持っています。これは仕事でも同様です。社会人になったオッサンでも周りから評価されたり、認められることは非常にうれしいことです。

そういった「喜び」を得るためには「何か行動」をしなければなりません。ただテレビの前に座っているだけでは何のプラスにもなりません。

まさに無駄な苦労である「過剰に人間関係を意識する」「目標に対して間違った努力」をすると本当にシンドイですし、時間のむだです。過剰な苦労も、それが達成された時の報酬と比べてみると、苦労の負担のほうが大きい場合がほとんどです。さらにその苦労が全部報われるわけではありません。

周りを見ていて思うのは、仕事でも勉強でも、「深刻にとらえすぎず」ほどよく息抜きをするということが重要だと感じます。

「何で自分はこんなに苦労しているんだ・・・」と常に感じているようなら、少し立ち止まって「自分が楽しいと思えること」に意識を向けたほうが良いです。

若いうちは、基本的には正義感や理想が比較的高く、また周りからの「自分がどう見られているか?」というのを過度に意識しがちです。

そして、現在の自分の置かれている状況と自分が理想とする自分にギャップがある場合は気分が落ち込んでしまいます。そういった考え方が必要以上に大きくなると「苦労」となります。なので、目上の人たちからの無責任な「言葉」に惑わされることなく、自分の価値観を信じていけば良いです。

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おわりに

度を越した苦労というのは、本当に心が折れる場合があります。「苦労をしたほうが良い」というのは、「その苦労が自分の糧になった人の言葉」です。

なかには苦労を乗り越えることができない人がいたり、「楽をするのはダメなことだ」と考える人もいます。

「買ってまで苦労をする必要は全くない」です。自分が「これだったらどれだけしていても苦痛じゃない」と感じることに取り組んだほうが良いです。

必要以上に自分に負荷をかけても、何も良いことはありません、

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