天然ボケな人に育ちのいい人が多い理由~なぜか品を感じる~

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天然ボケの人たちを見ると「なんか育ちが良さそうだな」と感じることって結構多いですよね。

「ゆったりしてる」「振る舞いとかに品を感じる」

その場の空気とは「ピントのズレた発言や行動」をしても、「笑って許される」ことも多いです。

今回の記事では、そんな天然ボケな人に育ちのいい人が多い理由を考察します!天然な人

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専門家の見解:「天然」と「育ちの良さ」の関係性

心理カウンセラーで対人印象形成の研究を行う大川理恵氏は、この点について次のように述べています。

「天然ボケと言われる人には、『他人を疑わない』『空気を支配しようとしない』という特性が共通して見られます。これは、幼少期から安心できる家庭環境の中で育ってきた人が持ちやすい傾向です」 (参照:大川理恵 対人心理カウンセラー・印象形成研究者

つまり、天然ボケな人の“ふわっとした雰囲気”や“無防備さ”は、
裏を返せば「人に対する恐れが少ない」「社会に対して過剰な防衛をしていない」という心理状態から生まれているのです。

常に先回りして空気を読み、「こう言ったら嫌われるかも」とか「今の空気は変なことはしないでおこう」などとしたり顔で構える人が多いなかで、天然ボケの人はそういったことをしません。というより、そういう考えがそもそも頭に浮かばないのです。

そしてその大らかさが結果として、“緊張感のない安心感”を漂わせるのです。

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天然ボケな人の特徴

天然ボケと一口に言っても、そのタイプはいくつかありますが、根底にあるのは「他人の悪意を想定していない」という点です。

たとえば、誰かが嫌味っぽく「あんた、こういう庶民的な店に来るの初めてなんじゃない?お嬢様だから」などと言っても本人は「そうですねー。今回が初めてです。呼んでいただいてありがとうございます!」と普通に明るく返したりします。
皮肉を皮肉と受け取らないのです。

そして、この“受け取り方の無垢さ”こそが、「あの人、なんか育ち良さそうだよね」と言われる大きな理由です。

天然ボケな人には、いわゆる「下衆の勘繰りをしない」のです。
「あの人は裏でこう考えてるかも」「私を騙そうとしても、そうはさせへんで!やり返したるわ!!」
そんなふうに勘ぐることをせず、言われた言葉や起きた出来事をストレートに受け取ります。

こうした純粋さは、どこか上品さや無垢さを感じさせ、
「人を信用することを前提に生きてきた」という、育ちの背景をにじませるのです

余計な圧力もなければ、媚びも感じられない。
その自然体が、品のある印象を与えるのです。

さらに、天然ボケな人は自分の失敗に鈍感でもあります。
ミスや勘違いがあっても、「やっちゃった」と笑って流す。
反省はしているが、自己否定には陥らない。
この“適度なポジティブさ”も、育ちの良さと関係があります。
つまり、家庭の中で「失敗しても否定されない」「受け止めてもらえる」という経験を積み重ねてきたからこそ、
ミスに対して“委縮せずに笑える”というメンタリティが育っているのです。

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天然ボケは「作ってもなれない」

時々、職場や日常の会話のなかで、「あの子、ちょっとやってない?声のトーンが違い過ぎて耳キーンなるわ」と感じることがあります。
しかし、こうした“養殖”の天然はすぐに見抜かれます。なぜなら本物の天然ボケの人は「自分がどう見られているか」をあまり気にしていません。

「他人の視線」というのがあるのは分かっているものの「それによって自分を変える必要がない」のです。そういった余裕があります。

そのため、言動はいたって自然です。周りの人も「あの人は本当にそう思ってるんだろう」と妙に納得するのです。

一方で、「天然っぽく振る舞おう」とする人は、どこかで他人の視線を意識していて、不自然さがにじみ出ます。反応がわざとらしい。返答が妙に計算されている。間の取り方が演技っぽい。
そうなると逆に、「わざとらしい」「ぶりっ子っぽい」と距離を取られることになります。

天然ボケは後天的に身につけるのが非常に難しく、朝ドラにも出てた「伊藤沙莉」レベルの演技のうまさが要求されます。

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「天然になろう」とするより、自分の強みを生かす

人間関係や職場で「癒しキャラ」「和ませキャラ」として重宝される天然ボケな人を見ると、
「自分もああなれたらええんやけど。私の溢れ出る癒しを周りにもおすそ分けすんで!」と感じる人もいるのではないでしょうか。
しかし、天然にはなろうとしてなれるものではありません。

むしろ、自分のキャラではないものを演じようとすることで、かえって違和感を持たれたり、信頼感を失うリスクすらあります。
自分の持つ別の強みを磨いた方が、よほど自然で、長く評価されるのです。

たとえば、冷静に状況を読むのが得意な人は、調整役や分析役としての立ち回りが光るかもしれません。
情報処理や計画を立てるのが得意な人は、裏方として圧倒的な信頼を得るかもしれない。
聞き役、場の進行役。キャラは天然だけではありません。

むしろ、“天然でないこと”のも強みは多いです。
空気を読める人、論理的に会話を整えられる人、
そういった存在は、天然とはまた別のカテゴリーで組織や人間関係において不可欠な存在です。

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無理な演出は「疲れ」と「違和感」を生む

精神分析士であり、人間関係の「役割演技」に詳しい林原美紀氏は、こう指摘しています。

「人は無意識のうちに、自分に求められている“キャラ”を演じようとします。しかし、それが本来の自分から遠い場合、自己理解が乏しくなり、人間関係にも歪みが生じてきます。特に“癒し系”や“天然っぽさ”を演じ続けると、本人が最も疲れていきます」 (参照:林原美紀 精神分析士・役割ストレス研究者

つまり、「自分に合っていないキャラクター設定」を長期間続けると、
対人関係のバランスを崩し、自分自身のストレス要因にもなるのです。

「無意識のうちに求められるキャラを演じようとする」というのは何か一種の怖さを感じますが、本当の自分を隠すわけなので自己肯定感もダダ下がりになりやすいですよね。

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まとめ

天然ボケな人に育ちのいい人が多いのは、過剰に他人を疑うことなく、人の言葉をストレートに受け止めてきたから。
また、何かミスをしたときも「まあ、いいんじゃない。次頑張ればいいよ、OKOK!!」と受け入れられて育ってきたからです。

もちろん、誰もがそういう環境で育つわけではありません。

ただ、養殖の人たちも天然の人たちから「構えすぎない」「自分をよく見せようとしない」「他人を信用することを恐れない」というのを自分なりに取り入れることもできます。

そして、無理に天然を目指す必要も演じる必要もありません。本来の自分と違う自分を演じ続けるのは疲れますし、本当の自分を磨き続けるほうが結果として自分のためにも、周りの人のためにもなります。

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