1人で死ぬべき論で置いてけぼりの被害者ケアと当事者意識

1人で死ぬべき論で肯定か否定かさまざまな意見が交わされています。これはもはや「事件とは関係のない枝葉」の部分であり、何の生産性もない「第三者が第三者のために言っている空論」です。

つまり「事件で被害に遭われた方や遺族のことを置いてけぼり」にしています。

もう「次の事件のこと」を話し合っているので、どうしようもありません。まずは「現在進行形で苦しんでおられる被害者や遺族に寄り添うべき」です。

例えば被害に遭われた方や遺族の「生活保障をどうするか」や「心のケア(病院への診察代も含めて)」などの問題への対応を話すべきだと強く感じています。そして次に自分が現場にいたときの「対処法」について議論が必要です。

1人で死ぬべき論は、「他人の考え方を変えさせる」という「ほぼ不可能なことを真剣に議論している」ためほとんどがムダに終わる可能性が高いです。他人の考え方を変えることは極めて難しいです。試しに「1人で死ねなんて言うべきじゃない」と言っている人の考え方を180度変えてみてください。

それよりも、「私たちができること」に焦点を当てるべきです。

日本は世界でも類を見ない平和な国家


参照:警察庁(平成28年の犯罪情勢)

まず大前提として日本の殺人件数というのは「世界的に見て極めて低い」というのを認識する必要があります。上記の表の「殺人で死亡した人」は男女合わせると年間で362人です。そして殺人事件件数割合も、毎年減少しています。

参照:年次統計
上記の表では、戦後から2010年までの殺人事件被害者数と割合が記載されています。「どちらも減少している」のは間違いありません。しかもこの年間に362人の被害者というのは人口割合で見ても「かなり少ない」です。ちなみに2017年の南アフリカの殺人被害者数は2万336人です。

2016年の日本の10万人あたりの殺人事件の被害者数は0.28人です。国連の196の国と地域のうち、日本は194位になっています。(低いほど良い)G20のなかでももちろん一番低いです。ちなみに1位のホンジェラスは82.84人となっています。南アフリカは10位で33.97人です。

上記のように、現在日本における殺人事件数は「世界的に見て極めて少なく、明らかに減少傾向」であるのが分かります。

そのため「無敵の人が増える」というのも筋違いで、「むしろ減少している」のが数字上からは正しいです。そのため現在生活している我々は、先人が整えてくれた社会環境やインフラに感謝しつつ「引き続き継続して現在の状態を続ける」のが望ましいのではないでしょうか。

この殺人事件件数や現在も一環して減少しており、「まだ底ではない」可能性が極めて高いです。

個人的な感覚でいえば、私は現在30代ですが、「上の世代よりも下の世代のほうが極端な考えに走らない」傾向にあると考えています。そのため今後も殺人事件件数は減り続けることが予想できます。

こうした「日本は世界的にも殺人事件件数がトップレベルで少ない」という事実を前提に物事を考える必要があります。「社会環境がおかしい」と言っている人は「どこの国と比べて」社会環境がおかしいか言わなければいけません。評価をするときには「何かの基準」があるはずです。それを示す必要があります。

どこかの国を答えた時点で「その国よりも日本のほうが安全ですよ」ということが可能になります。つまり安全面で見た場合、日本の現在の社会環境が世界中の見本になることはあっても逆はない、と言えます。

被害者や遺族が置いてけぼり

「1人で死ねと言うべきではない」というのは「今後、殺人犯を出さないための理論」ですよね。これってちょっと早くないですか?

現在進行形で苦しんでいる被害に遭われた(けがをした)方や遺族がいるのに「もう次の話題」へと移っています。今回の事件で苦しんでいるのは、間違いなく「被害に遭われた方や遺族」です。その人たちへのケアというのを十分に議論するのが先ではないでしょうか。

まずは「被害に遭われた方や遺族の心のケア」が非常に大切です。しかし「心のケアをするのも無料ではない」のが現実です。こういった事件に遭われた方の「診察代」などは免除(軽減)する必要があると感じています。金銭的な負担を気にすることなく、治療に専念すべき環境を整えるべきです。

また被害に遭われた方や遺族が「早く笑って過ごせる環境づくり」も「被害に遭われた方や遺族の周りにいる人たち」も考えなければいけません。被害に遭われた方や遺族にもそれぞれの人生が残されており、楽しんで生活を送れるような環境づくりを考えるのは必要です。

もし自分の周りに殺人事件の被害に遭われた人や遺族がいたら、自分だったらどのように対応しますか?

私は一日でも早く「くだらないことを言って笑ったり怒ったりできる日常らしきもの」に戻れるようにしたいと考えています。

繰り返しますが、特に「病院などへの診察代を免除する」というのは、「心のケアを十分する」という意味合いにおいて非常に大切です。「心のケアにもお金はかかる」のです。せめて金銭的な心配をせずに治療を受けてほしいと願うばかりです。

包丁を持っている人が誰かを刺そうとしているときの対応を議論すべき

こういった事件の当事者になる場合、多くの人は「被害者か遺族になるか、目撃者になるか」ぐらいしかありません。ここでは「自分が目撃者」になったときについて考えます。

日本では、一般人は拳銃を持つことができないので、今回のように大きな被害が出る場合は「刃物」が使用されます。

もし、自分の目の前で包丁を持った人が子供を刺そうとしていたら、どのような行動を取るべきでしょうか。

仮に自分が車に乗っていて「今から男が誰かを刺そうとしている」ときに、そのまま車でバーンと包丁を持った人にぶつかることはアリなのでしょうか。

石を持って相手に投げることは良いのか?それとも素手で相手につかみかかるのか。もしくは、子供が包丁で刺されているのを見ながら警察に連絡するのが良いのか。

何が正解なのでしょうか。こういった議論もされずに「絶対に解決できない(犯人になりそうな人の心を社会全体で変える)今後のこと」を現在議論するのは無責任です。次また同じような事件があったときに「また同じ話をしている」のが十分に想像できます。

恐らく、一般的には「包丁を持っている人を確保できそうだったら確保して、直ぐに警察に電話する」のが今のところ一番正解に近い気がします。しかしもう一歩踏み込んで「誰かに危害を加えようとしている人には、何をしても良い」ぐらいの超法規的措置を議論しても良いのではないでしょうか。

これから今まさに、誰かが包丁で刺されようとしているときに「止められる人がいたら何をしても良い」ぐらいのことは議論しても良さそうに思えます。実際に行動に移すかは別として、「議論の遡上にのせる」のは必要です。

それに犯人の心境というのは、我々一般人には分かりません。そのため、犯人の気持ちが分かる過去に大量殺人事件の犯人に聞いてみたら良いですね。ただ「良く分からないことを言われる」のは目に見えています。

こういった犯人は「何も考えずに」反抗に及んでいる場合もあり得ますし「何か動機がある」かもしれませんし、「完全に精神的な病気になっている」可能性もあります。また、これらのことがグルグルとその日によって犯人のなかでも回っていて「どれが本当の動機か分からない」こともあり得ます。

まとめ

まずは「被害に遭われた方や遺族の金銭的なサポート」が必要と感じています。「心のケアにもお金がかかり」事件が起こったからと言って家賃や食費が無料になるわけではありません。そのため現実的に考えると、「何らかの金銭的なサポート」について議論をするのが、こういった事件に巻き込まれた人たちへの助けになるのではないでしょうか。

また「事件発生前や事件発生中」に自分がその現場にいたときの対処法についても、もっと議論が必要で、「何をしたら良いか分からない」のが現状です。今のままだと、ぼーっと突っ立ってるうちに犯行は直ぐに終わってしまいます。自分が現場にいたら何かできることはないのか?という点についても、踏み込んだ議論が必要だと感じています。

そうしないと、自分が被害者になりそうなとき(なったとき)誰も助けてくれませんよ。

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