加計学園問題で何が問題と言えば何も問題がない点【9月13日更新】

森友学園問題と同じように加計学園問題も特に何も出てこない


出典:Counselling(pixabay)

加計学園問題が連日、特に都議選の前にはピークを迎えた感がありますが、やはり一番の問題は

安倍総理が不正な関与をしているか」に尽きます。

しかし、その直接的な証拠は、森友学園問題と同様に出てきていません。そして、その直接的な証拠が出てこないということで今度も「間接的な関与」を探している状況です。

今回の件では、安倍総理の指示で、お友達の加計学園に便宜を図ったんじゃないか?ということです。ただ、それも明確な証拠は出てきていません

それに、この一連の疑惑、逆のパターンのほうが困ります。つまり「規制を強化して、ある特定の職業の地位を守る」というほうが困りますが、今回はその逆です。獣医師側の反発は当然です。自分たちの給料が少なくなる可能性があることを守ろうとするのは当たり前のことです。

ただ、一般人にすれば「獣医を増やして診療代が安くなることや、鳥インフルエンザのような病気から予防・対処」してもらえる人が増えることは良いことだと思います。獣医が増えて獣医の給料が安くなることと、一般人の利益を考えた場合、現在、獣医の方には申し訳ないですが一般人が受け取る利益のほうが大きいように感じます。それに獣医の数が増えるからと言って、全員の給料が減るわけではありません。中には増える人もいると思います。

今回の騒動で「挙証責任」という言葉が話題に

今回の騒動で勉強になったのは「挙証責任」という言葉です。つまり、説明責任はどこにあるのかということです。

今回の件だと、文科省が「獣医学部は新しく造りません」という事を文科省内での「決まり事」としていたようです。そして、それを「おかしい」と考えた総理側が「その理由を教えて」と言っています。その理由に対して、文科省は「需給の調整が必要」と言っています。つまり、「新設を認めると獣医師が溢れてしまう」ということです。さらに、それに対して総理側が、「規制の根拠となる基準を示して」と言っています。この具体的な基準を挙げることを「挙証責任」ということになるのだと思います。

今回の場合だと挙証責任は「文科省」。規制しているわけなので、その根拠となる基準は当然、明文化されているはずです。基準を明確に説明できないなら、その「規制自体」が間違っていたことになります。

この加計問題の場合だと、文科省が獣医師の数を増やさないようにしていた「根拠を具体的に」示す必要があります。自分たちが規制していた事なので、「何で規制していたの?」と問われているわけです。また、前愛媛県知事が言っていた「歪められてきた行政」というのもこの部分のことを言っていると思います。

そして、おそらく、8月の末にこの「規制していた具体的な根拠」が分かるのではないでしょうか。なぜなら、8月の末に文科省が加計学園を「認可」するかどうかを決定するためです。もし、文科省側が「行政がゆがめられた」と思うなら、ガッチリと「不認可」のハンコを押したら良いと思います。

仮に「認可」することになると、文科省は今まで言われてきた「獣医の需給バランス」「なぜ加計学園が選ばれたか」「石破4条件を満たしているのか」という事も「すべて問題なし」ということになります。なので、8月末に加計学園が認可されるかが重要です。認可されれば、今回の一連のモヤモヤはすべて解消するのではないでしょうか。(※その後、10月末に認可の決定を先送り)

個人的には、ここまで徹底的に報道をされても安倍総理からは直接的・間接的な不正の材料が出てこないということは、かなりクリーンに仕事をしてきたという裏返しです。これを乗り切れば「森友も加計も、結局は何もなかった!」と胸を張って言うことが出来ます。長い目で見れば、総理側に有利に働く可能性もあります。また、少し気になったことがあると言えば石破氏で、次の総理が石破氏になったらどうしよう…とも感じた今回の一連の騒動です。

加計、森友問題を「安倍総理の意向」としたフェイクニュースの総括

加計、森友問題を連日、メディアがテレビで放送していましたが、その「総括」というのが行われていません。メディアでは、法律で違反しているよりずっと前の段階の「総理の意向」という所まで「悪いこと」の基準を上げてきました。

これを我々一般人が許してしまうと、もう本当にやりたい放題できます。

Rule of Law(法に基づくルール)」を徹底してほしいと感じました。テレビを見ている人たちが「分かりやすいストーリー」を先に描いて、それに基づいて放送をしているように思います。

今回の2つの件だと、仮に「総理の意向」が働いていたとしても、「法的に問題はない」ので、何で追及していたかが不明です。法律で問題のない「空気」のようなものまで追及するとそれはもはや「あいつが嫌いだから」という理由で追及できるようになります。また、「悪魔の証明」と言われる「証明のしようがないもの」を使えば、何だってフェイクニュースは作れます。

しかも、途中から説明責任が「追及される側がしなければいけない」という風に変わってしまうのです。

例えば首相と二人っきりの部屋で会った男が、その部屋を出て、すぐに犯罪行為をしたとします。この時に捕まった男が「首相にヤレと言われた」と言った場合。普通に考えると「いや、そんなバカな」と思うのですが、これにストーリーをつけると

「首相の意向で○○容疑者が犯罪行為『首相からヤレと言われた』と供述 問われる首相の説明責任 容疑者の持ち物からは犯罪行為を首相から示唆するようなメモが」

という風になり、この辺りから「首相が言っていないという証拠を出せ!」となるのです。これを応用すれば、首相と電話をした履歴からでもストーリーは作れますし、本当に何でもできます。

しかし、今回の一連の問題では結局、安倍総理の関与を示すものは出てきませんでした。この二つの問題でダメージを受ける事になったのは、「追及した野党」と「取り上げ続きたメディア」だと思います。法律的に問題のないことを問題としていたので、今後は自らも「非常に高い倫理性」が求められます。「総理の意向が問題」という「その場の空気」までも問題にしていたので、「貴方たちは出来てるんですよね?」ということです。会社や上司の意向ではなく、社会正義のために仕事をしていますか?と。そして、「次に取り上げる問題」はメディアも「確固たる証拠がない」と放送しにくくなるのではないでしょうか。

毎回、証拠がないことを「疑惑」オンリーで取り上げていると、流石に気づかれると思います。いやいや証拠は?と。

「疑惑」を追及するのは良いのですが、あまりにも偏向報道が目立った一連の報道。その総括をそろそろメディア自身でしてもらいたいです。

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